玄関の扉に鍵をかけるという、世界共通の日常的な行為。しかし、その「施錠」という行為の、細かな作法や、錠前のあり方を詳しく見ていくと、その背後に、それぞれの文化が育んできた、家や社会に対する、根本的な考え方の違いが、驚くほど色濃く反映されていることに気づかされます。その最も象徴的な違いが、日本の伝統的な錠前と、西洋のドアロックにおける、施錠の「方向性」です。日本の伝統的な家屋に見られる、引き戸に取り付けられた「捻締(ねじしまり)」や「猿(さる)」といった錠前は、そのほとんどが、室内側からしか施錠・解錠できない構造になっています。これは、家の中にいる人が、外からの侵入者を拒む、という「内向き」の意識が強く働いていることを示しています。障子や襖に象徴されるように、日本の伝統建築は、もともと内と外の境界が比較的曖見でした。だからこそ、在宅時には、家の「内」の領域を、より明確に、そして強固に守るという意識が、錠前の形に表れたのかもしれません。家族が中にいる、安全な聖域としての家。その内側からの施錠は、家族の団欒を守るための、意思表示でもあったのです。一方、西洋のドアロックは、家の外側から、鍵を使って施錠するのが基本です。これは、家主が外出する際に、外部の人間が家の中に侵入し、財産を盗むのを防ぐ、という「外向き」の意識が、その根底にあります。石やレンガで造られた、堅牢な壁と扉。家は、個人の財産を守るための、社会に対する小さな要塞であり、外出時には、その要塞の門を、外の世界に対して固く閉ざす必要があったのです。施錠という行為が、家の中にいる人を守るため(日本)なのか、それとも、家の中にある財産を守るため(西洋)なのか。この視点の違いは、それぞれの社会が、歴史的に何を脅威と捉え、どのようにして身の安全を確保してきたか、という文化的な背景を、雄弁に物語っています。また、デザインにもその違いは現れます。日本の錠前が、機能性を重視した、シンプルで目立たないものが多いのに対し、西洋のアンティーク錠には、持ち主の権威や富を誇示するような、装飾性の高いものが数多く存在します。たかが施錠、されど施錠。その日常的な行為の一つ一つに、私たちは、知らず知らずのうちに、自らが属する文化の刻印を、深く刻み込んでいるのです。